ナナフシの森

-シラキトビナナフシの窓-

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シラキトビナナフシの調査・分類

シラキトビナナフシの名前の由来について

シラキトビナナフシには学名がない

 シラキトビナナフシというのは、和名です。このナナフシには学名がなく、図鑑などでも Micadina sp. (トビナナフシの1種)と表されています。

 北海道でもシラキトビナナフシを見ている人は結構いるようですし、本州などでも多くの人が見ていると思います。これほど普通に見られるシラキトビナナフシに、何故「学名」が無いのか不思議でたまりません。

 また、学名が無いのに、何故シラキトビナナフシという和名になったのかも不思議です。素人ながらにいろいろとシラキトビナナフシの名前の由来について考えてみました。


Shiraki というナナフシの命名者

 日本には、ナナフシの仲間が18種(1科4亜科)ほどいるようです。この中で、命名者が Shiraki となっているのは、次の9種類のようです。

  • ナナフシ亜科   ミヤコナナフシ      Entoria miyakoensis Shiraki,1935
  • ナナフシ亜科   ナゴナナフシ       Entoria nagoensis Shiraki,1935
  • ナナフシ亜科   イシガキナナフシ     Entoria ishigakiensis Shiraki,1935
  • ナナフシ亜科   ヤマトナナフシ      Entoria japonica Shiraki,1911
  • ナナフシ亜科   オオナナフシ       Entoria magna Shiraki,1911
  • ナナフシ亜科   オキナワナナフシ     Entoria okinawaensis Shiraki,1935
  • トビナナフシ亜科 リュウキュウトビナナフシ Micadina rotundata Shiraki,1935
  • トビナナフシ亜科 ヤスマツトビナナフシ   Micadina yasumatsui Shiraki,1935
  • ヒゲナナフシ亜科 ミヤコエダナナフシ    Phraortes miyakoensis Shiraki,1935

 実に、日本のナナフシの半数が、命名者 Shiraki となっています。年号は1911年と1935年になっています。


素木得一博士

 シラキトビナナフシの「シラキ」と、上記命名者の「Shiraki」氏との関係を調べていくうちに、「素木得一」氏という昆虫学学者がいたことがわかりました。昆虫をやっている方は、すでに知っている人かも知れませんが、私にとっては初めての名前でした。

 (2007年10月13日 記述)

素木得一(Tokuichi Shiraki) 1882年~1970年
昆虫学学者・農学博士。本籍は北海道。1906年に札幌農学校卒業。1908年に台湾総督府農事試験場が設置され昆虫部長となる。
1909年には、カイガラムシ防除のため、アメリカからベダリアテントウを輸入している。
台北帝國大學を定年後、終戦を向かえ、本土へ戻る。GHQ(連合軍総司令部天然資源局)に所属していたようです。

素木得一博士の主な著作

  • 「昆虫講話」  素木得一著  東京 養賢堂   1935年
  • 「害虫・益虫」 素木得一著  東京 大日本図書 1940年 546ページ
  • 「昆虫の分類」 素木得一著  東京 北隆館   1954年 980ページ
  • 「昆虫の検索」 素木得一著  東京 北隆館   1956年 394ページ
  • 「基礎昆虫学」 素木得一著  東京 北隆館   1964年 642ページ
  • 「昆虫学辞典」 素木得一編  東京 北隆館   1982年 1387ページ

 これらの著作の一部を読んで見ましたが、戦前・戦後に昆虫について膨大な著書をあらわした素木得一博士の業績にただただ感動するばかりでした。

素木得一著作物

 特に、『基礎昆虫学』が「科学的昆虫学の最初の入門書として編纂したものである」(基礎昆虫学、序)ことがはじめに書かれてあり、その内容の深さに感激しました。

 また、終戦から10年もたたない時期に書かれた、『昆虫の分類』では、総論の中で、昆虫の形態や生理、生活について詳細に書かれており、各論の中の竹節虫目では、ナナフシの外形態と内形態、分類について詳細に書かれていました。
 これらの著作を読んでいると、時が立つのを忘れてしまい、夜更かしが続いています。このページは、シラキトビナナフシの名前の由来について調べていこうと思っているページですが、これらの著作にあまりにも感激して、本題のほうを忘れていました。

これらの著作の中では、シラキトビナナフシの和名についてはその由来が明らかになりませんでした。これだけの著述があり、多くの日本産ナナフシの命名者となっているにもかかわらず、なぜ、シラキトビナナフシは学名が登録されていないのかさらに疑問が深まってしまいました。今後も、別の角度から和名の由来について調べていきたいと考えています。

(2007年10月24日 追記)


シラキトビナナフシの和名の由来が明らかになる

 トビナナフシに関する文献をいろいろ調べていく中で、1970年代になって初めて「シラキトビナナフシ」という名前が登場してくることがわかりました。(シラキトビナナフシの記述を参照)

 はっきりと「シラキトビナナフシ」の和名の由来が記載されている文献として、次の文献を入手することができました。

長岡市立科学博物館研究報告No.8(1973) 『新潟県のナナフシ類』(樋熊清治)

 この報文によりますと、樋熊氏が1971年8月に採集したナナフシが、トビナナフシやヤスマツトビナナフシと異なる別の種であることに確信を深められ、1971年12月に福原楢男氏(農林省農業技術研究所)に同定を求めたそうです。

 福原氏は、すでに福島県で採集(1958年11月3日)されたものを所蔵していて、いずれ記載を行いたいとの意志を表明されたそうです。

 和名のシラキトビナナフシというのは、福原氏が用意していたもので、シラキは故素木得一博士(1970年12月22日没)に奉献されるものだそうです。

 この1973年の『新潟県のナナフシ類』では、福原氏の了解のもとに仮称で、シラキトビナナフシという和名を使用したそうです。

 具体的な記載としては、Micadina(?) sp. 及び シラキトビナナフシ(仮称) となっています。

『新潟県のナナフシ類』(樋熊清治)
『新潟県のナナフシ類』(樋熊清治)

 これ以降、シラキトビナナフシという名前が普通に使われるようになっていったようです。

 シラキトビナナフシの名前の由来はわかりましたが、学者や専門家にとっては当たり前のことでも、素人にとってはなかなかわからないことでした。

 しかし、何故、福原氏が学名記載を行わなかったのかについては、よくわかりませんので、さらに継続して調べて行きたいと思っています。

 ※長岡市立科学博物館研究報告No.8(1973) 『新潟県のナナフシ類』(樋熊清治)を参考にさせていただきました。

(2007年11月21日 追記)


トビナナフシの新種・・・「シラキトビナナフシ」の名前が初めて登場

 上記報文の1年前に出されていた、1972年3月発行のNKH(長岡市立科学博物館報)22号の表紙うらに、「トビナナフシの新種」と題して樋熊清治氏の解説文が載せられていました。

 この中に、日本で初めてと思われる「シラキトビナナフシ」という名前が出てきます。

 この表紙うらには、長野県和山温泉で1971年8月19日に写されたナナフシの写真が載せられています。

 樋熊氏は、この写真のトビナナフシが今まで知られていた2種(トビナナフシ・ヤスマツトビナナフシ)と違う新種であることを指摘しています。

 すでに1958年11月に福島県雄国山で1♀が採集されており、その標本を見た福原楢男氏(農林省農業技術研究所)が新種であることに気づいていたことが書かれています。

 福原氏は、1頭の標本だけでなく、万全を期して多数の標本が得られるまで待っていて、このとき(1971年8月)多数の標本が得られたので種の記載を行うようになったそうです。

 「氏は近く種の記載を行われるが、和名は「シラキトビナナフシ」と命名されるはず。”シラキ”は、ナナフシの分類に大きな業績を残した故素木(しらき)得一博士に奉献されるもの。」と樋熊氏の解説文には書かれています。

 日本で一番初めに「シラキトビナナフシ」という名前が出てきた文献がわかりましたが、何故、福原氏が学名記載を行わなかったのかについては、依然としてわかりませんので、さらに継続して調べて行きたいと思います。

 ※長岡市立科学博物館報22号(1972年3月) 表紙うら 解説ノート(15) 『トビナナフシの新種』(樋熊清治)を参考にさせていただきました。

(2007年12月22日 追記)

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